【 19歳のときの1つの契約から人生が変わった 】

オリンピック 平野歩夢

【 19歳のときの1つの契約から人生が変わった 】

スノーボード業界のオリンピックの初メダルで、

自分のルーツに戻ってみることにした。

どうやって11年間選手として生き残ってきたのか?

思い返してみると、

19歳 バートン選考会が瀬戸倉スキー場で行われていた。

16歳からスノーボードをはじめ、まだ3年目。

実力は、もちろん微妙。

東京出身で雪国の選手達には

全く歯が立たない状況だった。

でも、どうしてもスポンサーが欲しくて、

先輩に何度もお願いして、

バートンの選考会に出させてもらった。

選考会当日。

なぜか、ハーフパイプとの相性もよく、

絶好調だった。

どちらかというと、

実力以上の滑りがその日に出せた。

そして、バートン関東のニューポートから

スポンサーが決まった。

ここから自分の人生が変わった。

好きなことでお金を稼ぐことができる。

という実感を19歳の時に得ることができた。

当時のへなちょこ19歳としてはかなり

大きな契約金でもあった。

すべては、この1つの契約からはじまった。

この契約のメリットは、

契約金以上のメリットがもの凄く大きかった。

物品サポート(板、バインディング、ウエアーなど)
遠征費用
メディア露出
大会のサポート
練習環境のサポート
海外への撮影

などなど

あげたらきりがないぐらいの変化が起こった。

もし、スポンサーが無い状態で
練習だけを繰り返していたら、

絶対にたどり着けない場所だった。

この時に、企業・ブランドと個人が

協力関係をつくるメリットは半端じゃない。

ということを知った。

「 自分なんてまだまだです 」

と言う人が多いが、

実際は、まだまだだからこそ、

協力関係をつくることが必要なんだと思う。

他の選手が、まだまだ実力を磨き続けなければ、

といっている時に、

更にスポンサー契約を増やし、10社以上契約し、

良い環境をつくり出した。

なぜなら、環境が良い方が結局は勝てる。

ということが分かったから。

いくらうまくても、契約金が無ければ、

一年中何も考えずスノーボードに集中することはできない。

バイトをしたり、遠征費を稼ぐ時間は、

スノーボードができない、プロとして活動できなくなる。

練習すると同時に、1年間自分の最大限の練習と、

撮影環境を作ることに力を入れていった。

そのおかげで、24歳ぐらいには、

カナダに1年間住んで、スノーモービル、車を持って

自由に世界中で活動できるところまでたどり着くことができた。

これも本当に考え方1つだと思う。

ただひたすら練習しているだけでは、

たどり着けない場所がある。

平野歩夢選手や、平岡卓選手も

もちろんうまいからスポンサーが付いてる訳だが、

スポンサーが無ければ、ここまで行けたかどうかは分からない。

というのが現実だと思う。

それだけ、企業との連携・協力関係は絶大な力を発揮する。

もう一度いうと、

一番うまい人だけが連携・協力関係つくれるのではない。

連携・協力関係をつくる努力をし続けた人にも、

同じような結果を生み出すことができる。

「 ニワトリが先か、卵が先か 」

この差だけ。

連携・協力関係をつくり出すのが上手い人は、

結果として、更にうまくなって生き残っていける。

スノーボード業界を客観的に見ても、

連携・協力関係をつくり出すのが上手い人が生き残っている。

これは事実。

現在だけをみると、上手いからスポンサーがついているように見えるが、

約20年間業界を見ていると、

結局生き残れるのは、

連携・協力関係をしっかりつくれる人だけ。

という結果が見えてくる。

中途半端に上手いだけの選手は、いずれ壁にぶち当たり

やめていくことになったと思う。

それだけ、連携・協力関係をつくる能力が実は

スポーツ業界には必要だということだと思う。

それがいいか、悪いかという判断ではなく、

これが現実でもある。

という捉え方をするかどうかだと思う。

以上長くなりましたが、

私の11年間の選手としての経験をまとめて見ました。

1つの経験談として捉えて頂けると嬉しいです。

Ichigo

PS
もしよろしければシェアして頂けると嬉しいです!
若い選手や、これからスポーツで行きていく人達には、
是非知ってもらいたい内容です。

なかなかこういったリアルな内容を発信している人は少ないので、

現実の情報として、何かのキッカケになって頂けると嬉しいです。

PS2
来週、22日(土)23日(日)に、尾瀬戸倉スキー場に行きますので、
一緒に行きたい方はご連絡戴ければと思います。


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